2016 年のお正月に合わせて、我がLOST ZOO では2 頭のニホンアシカの展示をスタートさせた。かつては日本海(朝鮮半島の東側にかけて)、太平洋沿岸、千島列島と樺太の周辺の島、極東ロシアの南海岸やカムチャツカ半島南端のオホーツク海にまで広く生息したニホンアシカ。
長谷川雪旦「海驢」 (画像をクリックで拡大表示)
ニホンアシカは外海ではなく、必ず海岸線近くに生息した。通常、見通しの良い平らな砂浜で繁殖し、岩場で繁殖することはめったになかった。また、洞窟で眠ることを好む珍しいアシカでもあった。
江戸時代に描かれたニホンアシカの博物画
(画像をクリックで拡大表示)
ニホンアシカ漁風景
(画像をクリックで拡大表示)
約50 年前に、不確かではあるがニホンアシカが数件目撃されたという例があるため、現在も環境省は正式には絶滅を宣言していない。しかし、確かな発見例もないままに調査活動は2007 年に打ち切られている。
ニホンアシカは19 世紀中頃には、約30,000 - 50,000 頭が生息していたとされる。漁師の捕獲記録によると、1900 年代始めには年間3,200 頭ほどのニホンアシカが捕獲されていたが、1915 年にはそれが300 頭に減少。1930 年代には十数頭にまで減少し、1940 年代には絶滅が危惧されたため捕獲は無くなった。(日本人によって合計16,500 頭のニホンアシカが商業目的に捕獲されたという記録が残されている。)第二次世界大戦の海上戦でニホンアシカの生息環境が破壊されたことも無関係とは言えないが、絶滅に追い込まれた要因は、漁師たちの駆除もしくは乱獲というこの1点のみに尽きると言えるだろう。
大阪 天王寺動物園で飼育されていたニホンアシカ
(画像をクリックで拡大表示)
隠岐の島のマンホールにデザインされているニホンアシカ
(画像をクリックで拡大表示)
かつての各生息地への遠征調査を除いて、1950 年代後半以降ニホンアシカが再び観測されることはなかった。本州と韓国の間にある竹島諸島で観測された50 ~ 60 頭の群れが最後の報告である。
ニホンアシカの剥製 熊本市動植物園所蔵(画像をクリックで拡大表示)
ちなみに1970年代にも北海道北部で1 頭のアシカの目撃が数件あり、果たしてそれが本当にニホンアシカか、または迷い込んだカリフォルニアアシカなのか確かではない。そんな紛らわしい事態があろうことに読者の皆さんは驚くかもしれないが、長い間ニホンアシカはカリフォルニアアシカの亜種だと考えていた。ニホンアシカの絶滅後、2003年の研究によってようやくニホンアシカはカリフォルニアアシカと区別され、独立種として扱われるようになったのである。ニホンアシカはカリフォルニアアシカと比べ、頭部の幅が広く大きいし体もやや大型である。また、ニホンアシカの犬歯の後ろには6 本の歯があるが、カリフォルニアアシカには5 本しかない。その後の遺伝子解析によっても、両種の違いは明確なものとされた。
LOST ZOOニホンアシカの放飼場風景
(画像をクリックで拡大表示)
ニホンアシカのオスは濃い灰褐色で、体長は2.3 - 2.5 m、体重は450 - 560㎏に達した。高齢になると毛皮はより黒っぽくなった。オスに比べメスはずっと小柄で体は1.40 ~ 1.64 m程。色も淡色であった。かつてニホンアシカは動物園でも人気のどうぶつであり、飼育展示、ときには繁殖もされていた記録があるが飼育下でも絶滅してしまった。大阪の天王寺動物園や九州の熊本動植物園などには、今も貴重な剥製が所蔵されている。また、オランダのライデンにある自然史博物館には、シーボルトが長崎に近い出島に滞在していた時に母国へ送ったとされるニホンアシカの剥製が所蔵されている。現在では世界的に剥製ですらほとんど目にすることのないニホンアシカを、当園で紹介できることをとても嬉しく思う。
LOST ZOOキュレーター ユルゲン・ランゲ